Page 22 - 神戸フィルムオフィス20周年記念
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 神戸を元気にしたい、 そんな覚悟が生まれたのです
─ 2000年9月13日、神戸フィルムオフィ ス創立。その発端からリサーチ、創立準備 にいたるまで奔走したのが田中まこさん。 もともと番組制作のADなどを務めていた が、持ち前の実践的な英語力を買われて、 70年代にはテレビ番組「夜のヒットスタ ジオ」で海外ミュージシャンの通訳を務め るようになっていた。その頃にはすでに映 画界との関わりがあったとのこと。 田中 通訳はミュージシャンがメインでし たけれど、雑誌の取材やイベントなどで映 画関係の通訳もやっていました。当時はジ ョージ・ルーカスさんの通訳も。映画業界 には戸田奈津子さんがいらっしゃるので、 大きな記者会見などは戸田さんがされてい ましたが、他にも作品はたくさんあるので、 私も仕事をさせてもらっていました。映画 の権利を売買していた日本の代理店の翻訳 も引き受けていたので、映画の契約書を作
成して、交渉を行なうこともありました。
─ キョードー東京での勤務経験もあり、 海外アーティストやスポーツ選手の招聘に まつわる交渉、通訳を手がけていたことも。 一方で、ラジオの世界では、構成作家から 気づけば「オールナイトニッポン」のアシ スタントに抜擢され、裏方だけでなく表舞 台での活動もスタートしていた。 田中 そんなある日、映画関係の代理店の 社長からの紹介で、阪神・淡路大震災の復 興のために、映画を活用して神戸を盛り上 げたいという神戸市の企業立地課の方から 相談を受けました。撮影スタジオをつくる というアイデアもあったようですが、私が 思い当たったのはフィルムコミッション。 アメリカの映画を観ていると、エンドロー ルに必ずフィルムコミッションのクレジッ トが入っているのに、日本では見かけたこ とがなかった。フィルムコミッションは行 政が手がけるものなのですが、それに手を つけるような役所が日本にはまだなかった のです。まさか自分がやることになるとは 思っていないので、わりと無責任に「フィ ルムコミッションがいいのでは?」と提案 しました(笑)。
─ 映画やテレビ番組など、海外から日本 ロケの相談を受けて、日本での撮影にアテ ンドする仕事もすでに行っていたまこさん だったが、海外のフィルムコミッションに ついてはその存在を知る程度で、具体的な ことはまだ何も知らなかった。 田中 神戸市の担当の方がとても興味を持
   初代代表田中まこさんに聞く、
神戸フィルムオフィ
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Eve of Foundation
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